『psychA』続報その3――書評について
フロ研ですこんにちは!
『psychA』の先日は順調に進んでいます。先日は部室で検討会を行いましたが、5時間の検討会で半分以下しか進まず、翌日のSkype会議に持ち越されましたが、そこでも4時間の会議の末、決着がつかず、翌々日の2時間のSkype会議でようやく終わるという波乱の展開を見せました。しかしそのぶん完成度の高い原稿が出来上がるでしょう!
というわけで今回は書評についてのお知らせです。
書評は大きく二つのコーナー、「今季の新刊」と「フロ研セレクション」によって構成されます。
前者は今年上梓された精神分析関連の書籍を扱うもので、今回は、
河野一紀『ことばと知に基づいた臨床実践――ラカン派精神分析の展望』
小林芳樹・編訳『ラカン 患者との対話――症例ジェラール、エディプスを越えて』
についての書評を収録しました。
後者は、精神分析の隠れた名著をフロ研員が紹介するもので、
アニー・コルディエ『劣等生は存在しない』
加藤敏監修『天使の食べ物を求めて――拒食症へのラカン的アプローチ』
についての書評が掲載されます。
特集のラカンに因んで、今回はすべてラカン派の著作についての書評を掲載しました。入門書レビューとは異なり、ひとつの著作をじっくりと語るこのコーナー、注目です。
次回は論文についてお知らせします。
というわけで完成に近づいている『psychA』は、11月24日(月・祝)、第19回文学フリマで発売します。ブースは2階、カ-18です。みなさんお楽しみに!
これまでのお知らせ
『psychA』続報その2――入門書レビューについて(続)
フロ研ですこんにちは!
入門書レビューにて扱う本の一覧が完成しましたのでお知らせします
斎藤環『生き延びるためのラカン』/向井雅明『考える足』/ブルース・フィンク『後期ラカン入門』/小笠原晋也『ジャック・ラカンの書』/ブルース・フィンク『精神分析技法の基礎』/十川幸司『精神分析への抵抗』/新宮一成・立木康介(編)『知の教科書フロイト=ラカン』/加藤敏監修『天使の食べ物を求めて』/藤田博史『人間という症候』/鈴木晶『フロイトの精神分析』/フィリップ・ヒル『ラカン』/ダリアン・リーダー『FOR BEGINNERSラカン』/佐々木孝次・他『ラカン『アンコール』解説』/小林芳樹(編訳)『ラカン 患者との対話』/福原泰平『ラカン――鏡像段階』/向井雅明『ラカン対ラカン』/原知之『ラカン 哲学空間のエクソダス』/ピエール・レー『ラカンのところで過ごした季節』/ビチェ・ベンヴェヌート&ロジャー・ケネディ『ラカンの仕事』/新宮一成『ラカンの精神分析』/スラヴォイ・ジジェク『ラカンはこう読め!』/ブルース・フィンク『ラカン派精神分析入門』/赤坂和哉『ラカン派精神分析の治療論』/フィリップ・ジュリアン『ラカン、フロイトへの回帰』/ジェーン・ギャロップ『ラカンを読む』/アニー・コルディエ『劣等生は存在しない』/立木康介『露出せよ、と現代文明は言う』/Dylan Evans, An Introductory Dictionary of Lacanian Psychoanalysis/Véronique Vorus & Bogdan Volf, The Later Lacan/Ellie Ragland & Dragan Milovanovic, Lacan: Topologically Speaking
・総評(片岡一竹)
全30冊という大ボリュームです。もう読んだという本も、未読だという本もあるでしょう。みなさま是非ご一読ください。
次回は書評についてお知らせします。
というわけで完成に近づいている『psychA』は、11月24日(月・祝)、第19回文学フリマで発売します。ブースは2階、カ-18です。みなさんお楽しみに!
これまでのお知らせ
『psychA』続報!
いよいよ文学フリマが近づいてまいりましたね! まずは遅まきながら、ブースの位置が決定したことをお知らせしたいと思います。フロ研のブースは早稲田大学現代文学会さんの委託で、カ-18です。みなさま是非お越しください。
『psychA』は目下製作中で、中の人は昼夜が逆転して曜日感覚が面白いことになっていますが、ちゃんと発行可能の見込みなので大丈夫です! さて今日はその特集についてお知らせしましょう。
前回の記事でお知らせした通り、創刊号のテーマは「Pour lire LACAN――ラカンを読むために――」です。つまりありていに言えばラカン入門です。
それを聞いて「またか……」と溜息をつく人もいるかもしれません。なぜなら日本にはすでに「ラカン入門」と称した書籍や論文がまかり通っているからです。その量は研究書をはるかに凌駕し、過多だともいえましょう。
しかし、で、あるならばここで必要になってくるのは取捨選択です。つまりどのラカン入門がもっとも正確で、かつ初心者にも読みやすいものになっているかを判断することです。こればかりは周りの先達のアドバイスがないと難しい問題でしょう。ですが、現在日本で精神分析、特にラカンを学ぼうとする人はいまだ少数です。
そこで私たちがそれを引き受けようと思います。
創刊号の巻頭を飾るのは特集「ラカン派入門書大レビュー」です。この企画では、日本語で出版されているラカン的精神分析の主要な入門書のレビューを試みました。しかし、ただのレビューではありません。というのも厳密な採点方式をとっているからです。すべての本について全5点満点で点数をつけました。実はこの採点、中の人の担当分からは5点満点が出なかったほどシビアなものになりました。その他、記述の難易度、現在入手可能な価格(絶版のものも多いので平均的な古書価格を参照しました)、その本の特徴を表す個別点に加えて、各書に500字程度のレビューを付けました。
実は編集長は今でもややビビっております。というのも、あまりに歯に衣着せずに書きすぎたからです。しかし設立間もない今だからこそ出来る企画でありますし、読者の皆さんのお役に立つことを第一に考えました。というわけで、この特集を読めば、ラカンのテクストを実際に読むための最短ルートを把握できるはずです!
また日本語だけでなく、英語、フランス語で読める秀逸な文献についてもレビューしました。こちらは会員がこれこそはと推薦するものを厳選して載せました。是非ともご参照ください。
今回は第一特集についてお知らせしました。続く内容につきましては、また続報をお待ちください。
それでは!
※なお第二特集として予定されていました「ラカン「『盗まれた手紙』についてのセミネール」解説」に関しましては、諸般の都合により中止させていただきます。申し訳ございません。その代わり、片岡担当の論文において同論文についての紹介がなされる予定です。
戸山フロイト研究会誌『psychA』創刊!
秋めいてまいりました。皆さんお元気ですか。
さて、来るべき11月24日(月・祝)に、東京流通センターにて第十九回文学フリマが開催されます。文学フリマとは文学・人文系の同人誌の即売会であり、フロ研とも仲が深い――事実上の上部組織――である早稲田大学現代文学会は、毎年部誌『Libreri』を発行して参加しております。
私たち戸山フロイト研究会も、早稲田大学現代文学会さんへの委託販売にて、文学フリマに参加します。ここにおいて戸山フロイト研究会は会報誌『psychA』(プシカ)を創刊いたします。
特集:Pour lire LACAN――ラカンを読むために――
創刊号の特集はPour lire LACAN(ラカンを読むために)です。これからラカンのテクストを実際に読む人にとって、もっとも近道となるような道筋を紹介することが目的です。
実際の特集内容についてはまたの機会にお知らせしますが、今のところ決まっているタイトルは以下の通りです。
……なんだか概ね内容がわかってしまったかもしれませんが、実は今回の特集、同人誌でしかできないラディカルな挑戦を思い切ってしています。そのため、タイトル以上に内容はいろいろと濃いものになるでしょう。
さあいったいどんな雑誌になるのか! 続報をお待ちください。
お問い合わせ
ご意見・ご指摘のある方、または入会希望の方は、
freudtoyama2014@gmail.comまで、お気軽にお問い合わせください。
また当会のTwitterアカウントへもご連絡いただけます。
URL : 戸山フロイト研究会 (freudtoyama) on Twitter
戸山フロイト研究会設立に際して
19世紀末から20世紀初頭に亘って行われたフロイトの仕事は、彼が創設した精神分析の枠内にとどまらず、あらゆる領域に影響を及ぼしてきました。ジル・ドゥルーズやジャック・デリダなど、20世紀を代表する哲学者はみなフロイトの影響を受けて出発していますし、フロイトの後継者であるジャック・ラカンの仕事が、現代思想の文脈に大きな影響を与えたことは周知のとおりです。それ以外にも、たとえば精神分析批評は批評理論の中で大きな流派を形成しました。狭義の文学にとどまらず、絵画批評や映像批評の分野においても、精神分析理論を用いた読解が試みられています。さらにラカンの影響を色濃く受けた哲学者のスラヴォイ・ジジェクが、文芸批評にとどまらず、アクチュアルな政治分析にラカン理論を応用したことも、現在では広く知られています。また近年は脳科学の分野でも、『心理学草案』などのフロイトの仕事の再評価が進んでいます。
精神分析理論を批評など他の分野に応用することは、『モーセという男と一神教』などフロイトの後期の仕事でも行われていることであり、充分価値のあるものといえるでしょう。これらはフロイト思想の広がりを再確認させてくれます。しかしその中で、フロイトが何よりも情熱を注いだ精神分析それ自体が忘却される傾向にあるとは言えないでしょうか。これは特にラカンにおいて顕著だといえます。ラカン理論は現代思想や精神医学の分野で広く受容されましたが、実際に分析主体analysantとして分析を行う人々、または分析家analysteとして臨床活動を行っている人々はいまだ僅少です。しかしフロイト=ラカンの理論があくまで実際の精神分析活動のために構築されたことは言うまでもありません。それにもかかわらず、彼らの真の意図がいまだ顧みられないまま、フロイト=ラカンは後続する人々の仕事によってすでに乗り越えられたとする意見ばかりが、我が国においては蔓延していると思われます。
確かに、症状の治癒という点に関しては、現在であれば精神分析よりもより効果的で、リーズナブルな治療法が多数存在しています。しかし精神分析の目標は、決して症状の治療にはありません。フロイト自身言っているように、むしろそれは二次的なものです。精神分析の向かう道は、患者が自らの人生を受け入れ、自分の人生を生きられるようになることにあるといわれます。それは症状の解消、トラブルの解決などといった外面的・客観的事実によっては観察できない、患者固有の主体的次元における解決であり、患者が自らの特異性において独自に編み出す解決です。もちろんその解決は症状と密接に関係にありますが、しかしただ症状が解消しても解決とはなりませんし、翻って言えば、たとえ症状が解消しなくとも(外面的・客観的状態がどうであれ)、分析を終えることは十分に可能です。*1精神分析は単に症状を治癒するための技法ではなく、患者が自らの生を生きるための営為であるといえます。
戸山フロイト研究会では、こうした一つの営為としての精神分析を踏まえながら活動を行うことを目標にしたいと思います。といっても、研究分野を臨床に限るということではありません。フロイトの影響を受けた哲学思想・文芸批評なども、フロイト理論の広大さを体現する豊かな分野であり、それらをまったく無視してしまうことは重大な損失です。したがって当会ではこれら周辺分野の研究も盛んに行っていきます。しかしそれでも、つねに一つの営為としての精神分析を忘れずに研究を進めていきたいと思います。なぜなら、それこそがフロイトに忠実であることであり、フロイトを尊重するために何より重要なことであるからです。
2014年8月
幹事長・片岡一竹
*1:症状は一つの享楽jouissanceでもあります。享楽とは、フロイトが言った欲動Triebの満足にラカンが与えた名ですが、主体の根源的な満足を指すものです。精神分析の目標は、患者の享楽を変えることにあります。症状に苦しみ、分析家のオフィスを訪ねる患者は、自らの症状によって得られる享楽に苦しんでいます(なぜなら享楽は、時に苦痛をもたらすこともある快楽であるからです)。この苦しい享楽を違った形の享楽に変えることが、分析の中で行われます。そして分析が集結する際に形作られる享楽は、患者独自の享楽であり、それが結実したものをラカンはサントームsinthomeと呼びました。これは症状symptômeの古い綴りです。つまり、精神分析の最終的な目標は症状の解消ではなく、主体独自の症状(サントーム)を作り出すことにあります。